高橋太郎


陸軍歩兵少尉(歩兵第三連隊)
高橋太郎少尉は事件の青年将校中、林八郎少尉に次ぐ年少者である。大正二年一月一日、金沢市本多町に生れた。少年時代、父高橋重吾氏の死にあつて生家を離れ、叔母に当る原好さんの手許で育つた。東京の成城中学から陸軍士官学校に入り、昭和九年卒業した。安田、中島両少尉と同期の第四十六期生である。同年十月、少尉任官と共に歩兵第三連隊に配属となり、事件当時は連隊旗手を勤めていた。

弱冠二十四歳の熱血青年高橋少尉は、遺書に見るように、みずからの鮮血の上に、燦然たる皇国の誕生を信じつつ、従容として死に臨んでいつた。
また、獄中において般若(はんにゃ)心経、延命十句観育経などの全文を、繊細な筆致で筆写、これを残している。
命日 昭和十一年七月十二日(第一次処刑)
戒名 高忠院水橋不流居士
墓所 東京都港区赤坂 青山墓地内
遺書
夜来ノ雨二洗ハレ木々ノ緑愈々色濃シ
十有七ノ鮮血ニヌグハレ皇国体ノ真姿皎々トシテ輝カン
鮮血ト涙二洗ハルヽ皇国ノ前途燦タリ、尊キ哉
遺詠
うつし世に二十四歳の春過ぎぬ
  笑つて散らん若ざくら花
み光を蔽へる雲をうち払ひ
  真如にすめる今ぞのどけし
昭和十一年七月八日
元陸軍歩兵少尉
高橋 太郎書

河野司編 二、二六事件よりの抜粋
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