陸軍砲兵少尉(陸軍砲工学校)
熊本県天草郡宮地村小宮地の名望家、安田清五郎氏の次男で、明治四十五年二月一日の生れである。
河野寿大尉、清原康平少尉(無期禁錮刑に処せられた)と同じく、熊本の中学済々黌(せいせいこう)に学んだ。同黌から陸軍士官学校に入学し、昭和九年六月卒業の第四十六期生である。同期生に高橋太郎少尉、中島莞爾少尉がいる。
旭川で少尉に任官、野砲兵第七連隊付となり、第七師団の先発隊に加わつて渡満従軍した。事件の前年に帰還し、七月、東京の陸軍砲工学校に入学し、同校に在校中であつた。
事件には同校から中島少尉と並んで参加したが、渡辺教育総監襲撃の時、応射した総監の拳銃弾を受けて負傷したが大事に至らず、引揚げ後、赤坂見付の前田病院に入院した。
代々木の陸軍衛戍刑務所に在監中、面会の機会を利用して、実姉に数回にわたつて多数の遺書を手渡している。
命日 昭和十一年七月十二日(第一次処刑)
戒名 安寧院丹田優秀居士
墓所 熊本県天草郡宮地村宇小宮地 明崇寺内
絶筆
「某 閉眼せば加茂川に投じ魚にあたう可し」と南無阿弥陀仏に帰依し奉る
安田ゆたか
昭和十一年七月十二日午前八時十三分
我がつとめ今は終りぬ安らかに
我れかへりなむ武夫(もののふ)の道
刑死前十分 安田 優
絶筆
白妙の不二の高峯を仰ぎつつ
武さしの野辺に我が身はてなむ
我を愛せむより国を愛するの至誠に殉ず
昭和十一年七月十二日刑死前五分 安田 優
遺詠
長へに吾れ闘はむ国民の
安き暮しを胸に祈りて
昭和十一年七月十一日 安田 優
今日こそは命たゝなむ安らかに
吾がはらからの胸にいだかれ
昭和十一年七月十二日 安田 優
河野司編 二、二六事件よりの抜粋
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