陸軍工兵少尉(陸軍砲工学校)
中島莞爾少尉は佐賀県小城町出身の中島荒次郎氏の二男として、大正元年十月十九日に生れた。香田清貞大尉と同じ小城中学から熊本陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に入つた。卒業は昭和九年六月で、安田優、高橋太郎両少尉と同期の四十六期である。
成績抜群、前途を嘱望された有為の青年将校であつた。卒業後、同年十月少尉に任官し、津田沼の鉄道第二連隊付となり、十年七月、陸軍砲工学校に入学、在学中であつた。
平素二コリともしない彼の謹厳そのもののような真面目さは、莞爾という名前とはおよそ似つかぬほどであつたという。その陸士時代、区隊長が村中孝次であつたことは、彼から受けた感化が、中島少尉の人間形成に大きく作用したことにちがいない。
命日 昭和十一年七月十二日(第一次処刑)
戒名 堅節院莞叢卓爾居士
墓所 佐賀県小城郡小城町大手前 善光寺内
絶筆
幽魂永(とこし)へに留りて
君国を守護す
七月十二日朝 莞爾
遺詠
身はたとひ水底の石となりぬとも
何惜しからん大君のため
はやり男の走(は)せゆく道は一すじに
大和心と知る人ぞ知る
親子どりつよく生きゆけ世の風は
つめたく吹くもわれは守らん
世の人は知るや知らずや如月(きさらぎ)に
魁(さきが)けて咲く花の心を
惜しからず永らへし身の今日は早
つくすつとめも終りけるかな
河野司編 二、二六事件よりの抜粋
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