坂井直


陸軍歩兵中尉(歩兵第三連隊)
坂井直中尉の父は、三重県三重郡桜村出身の陸軍少将坂井兵吉氏である。明治四十三年八月十三日、その長男として生れた彼は、大正十二年に三重県津中学から東京の名教中学に転校し、同校から陸軍士官学校に入学した。昭和七年七月卒業の四十四期生である。同十月少尉に任官し歩兵第三連隊付となつた。その後一時、北京に駐在したことがある。
彼が中尉に進級したのは昭和九年十月であつた。この間、同隊の安藤輝三大尉等、革新将校との交りも深く、また秩父宮殿下が歩兵第三連隊に御在勤中は、連絡将校として、つねに御殿に参上していた。殿下の御意中をもつともよく知る一人である。
坂井中尉は事件直前の二月九日、宇治山田市の平田神宮皇学館長の娘、孝子と結婚したばかりであつた。それからわずか半月たらずで蹶起したわけである。まことに痛ましい限りだが、このことは逆に、事件が少数首脳者の間に極秘裡に準備されていたことを示すものである。

なお半紙に書かれた多数の遺書の中でも坂井中尉のものは、その見事な筆蹟と配字の整然さにおいて特に目をひくものがある。死に直面してなお乱れを見せぬ彼の泰然たる心境の落着きをしのばせて、まことに立派である。
命日 昭和十一年七月十二日(第一次処刑)
戒名 輝証院釈直入居士
墓所 三重県三重郡桜村 安正寺内
遺志
皇国に誠の心なしとても
  我が心のみ神に通ぜん
身は一代名は幾千代の命なり
  義を残してぞ生甲斐にこそ
此の上は護国の鬼と仕へてそ
  死して甲斐ある命なるらん
吹く風に散り果てにけり山桜
  また吹く東風(こち)を楽しみにして
義は重し命は軽し武夫(もののふ)の
  誠の心幾世変らじ
国民の心は神のみいつなり
  民の心の邪(よこしま)を去れ
大君のために生れて大君の
  ために死すべき我身なりけり
此上は七度人と生れ来て
  皇御神に仕へまつらん
昭和十一年七月十日
坂井 直

河野司編 二、二六事件よりの抜粋
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